名もなき声に耳を澄ます

Pilgrimage Record

KUMANO PILGRIMAGE

2023.4.26 - 28

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プロローグ

熊野古道巡礼
~風土に溶け込むブッダ・ダルマ~

日本の仏教は、風土に溶け込むかたちで流れているのではないだろうか。
仏教というと、教えや修行を思い浮かべるかもしれないが、日本は、毛穴から入ってくるようなあり方で日々の暮らしに仏教が染み込んでいるように思う。

山を歩いていると、ふとお地蔵さんに出くわす。古くからある地蔵でも、前掛けが新しくなっていたり、水や花が供えられていたりと、今も誰かが手入れをしていることに気づく。
そこでお経をあげたり、法螺貝を立てたりしながら、人びとは音という波で交流してきた。

日本の風土を感じられる道を歩くと、「祖先」の気配を感じることができる。
ここでいう「祖先」とは血縁に限らない。誰もが皆、未来世代にとっての「祖先」である。

海外から迎えるゲストには、この地で目に見えないものとのつながりを感じてもらいたい。
そしてこの熊野巡礼が、「どう自分とつながるか」「どうすれば自分の『祖先』とつながり直せるか」、という問いをひらく扉になればと願う。

那智の海辺

法螺貝は海からやってきた。
海に始まり、山へ向かう。水の流れが遡るようなイメージがある。

巡礼には音がつきものだが、お経とは異なり、法螺貝はことばではない。
あれこれ考えると音は出ない。思考やことばから離れていく。

ブータンでは法螺貝を山から取るという。
きっと山の法螺貝も、耳を傾けてみれば、太古の海の音がするだろう。

曼荼羅の道

黙々と歩く、内省的な時間。
この道を多くの人が歩いてきたことに思いを馳せながら歩く。
名の残る人、無名の人、多くの人たちがこの道を歩いてきた。そこに合流している、という感覚。

巡礼道に限らず、本来はすべての場所がそうであるはずだ。
古道で得た感覚を日常に持ち帰ることが大切なのではないか。

思い出すのは、水。小川が流れている。水の音とずっとともにある。
樹々のざわめき。ひとつの風景というより、動いている感覚。その絵を音とともに思い出す。

大門坂

樹齢数百年という杉がどこまでも聳え立つ。自然の力を感じる場所。
木の幹に触れながら、さまざまな祖先の存在に思いを向ける。ことばのいらない時間。

那智の大滝

前日の雨で水量も多く、立派な滝。

滝に向かって、ブータンの僧侶たちがお経を唱える。
自分ひとり聞こえればいいくらいの声で。

那智大社

那智大社のご神木。樹齢850年。
カンファ・ツリー・ヴィレッジのシンボルであるクスノキ。

クスノキの幹に宿る無数のいのち。
護摩木を手に、胎内くぐりをして、満願。

エピローグ

耳を澄ませるということ

音を聞こうとすると、時間がかかる。
音は切りとることができず、音楽を一瞬で聴くことはできない。時間を過ごさないと、音楽は味わえない。
連続性と変化に感覚を向けることが、音に耳を傾けることではないだろうか。

今の社会は「ビジョン」を求め、さらにそこへ最短距離で到達することを求める。
しかし「世界」はダイナミズムの中にあり、たえず動き続けている。それをスナップショットのように切りとって思考するところに、迷いが生じるのではないだろうか。

揺れ動いてあちらに行ったりこちらに行ったりするからこそ、エネルギーが湧き、何かに向かうことができる。

─実現したい世界のビジョンは何?─
だけでなく、

─あなたはどんな音楽が聴きたい?─
─そこにどんな声が響いていてほしい?─
と、世界に耳を澄ませる発想をもっていたい。

その発想が長い時間軸で未来を考えることにつながるだろう。

語  り:松本 紹圭
構成/文:小関 優

“How can we become better ancestors?”
─いかにして私たちはよりよき祖先になれるか─