名もなき声に耳を澄ます

Prologue

Invitation Letter from the Camphor Tree Village

「招待状」ーカンファ・ツリー・ヴィレッジよりー

Scroll for Contents

Invitation Letter from the Camphor Tree Village

“How can we become better ancestors?”
〜いかにして私たちはよりよき祖先になれるか〜

「分断の時代」と言われるが、本当にそうだろうか。

資本主義経済の限界、民主政治の形骸化、国民国家体制の行き詰まり、近づく生態系の限界突破へのタイムリミット。Covid-19をはじめとする疫病の広がり。そして、戦争。人類は生存に関わる様々なリスクに晒されており、今こそ力を合わせて地球規模の課題の克服へ向けて協力しなければならないことは、誰の目にも明らかだ。

だが、うまくいかない。右派と左派。保守とリベラル。貧富の格差。ワクチンを巡る意見の相違。民族間、国家間、宗教間の対立。あらゆる分野で人類社会は、二元論で分別される対立的な事象にまみれている。技術的・社会的なイノベーションによって分断の解消を試みるも、目先の課題解決は同時にそれ以上の新たな課題をもたらす。私たちは、まったくの袋小路に入ってしまっているように見える。そうした物の見方は、仏教では分別知(ふんべつち)と呼ばれ、そこから離れる道が説かれてきた。

今こそ、分別知とは異なる、「もう一つの見方」が必要だ。

2500年前にブッダによって明らかにされた普遍のダルマに照らして見れば、私たちは本来、分けようのない世界を生きているという。そうした洞察は無分別智と呼ばれ、変革を求める政治・経済のリーダーや、哲学や量子力学といった学問の専門家から、参照される機会が増えている。

仏教学者・高楠順次郎を学祖とし、ブッダ・ダルマを建学の根本精神とする武蔵野大学は、まもなく創立100周年を迎える。今ではサイエンスとリベラルアーツを横断する総合大学として発展した本学の原点には、無分別智がある。

今日ますます、分別知に代わる「もう一つの見方」が求められる中、今こそブッダ・ダルマの根本に立ち返り、現代社会におけるその意義と可能性を問い直し、未来世代の平和と安穏に貢献したい。そのような思いを胸に、私たちはここに、「カンファ・ヴィレッジ・プロジェクト」を立ち上げる。

クスノキ(カンファ)は、学祖・高楠順次郎の名にも由来する、数ある日本の固有種の中でもとりわけ長寿で知られる木だ。クスノキが象徴する長期思考の揺り籠たる日本の風土には、自然・思想・文化といった、訪れる人を「もう一つの見方」たる無分別智へと誘う目に見えない先人たちの遺産が息づいている。

私たちはこの、霊性豊かな日本の地を起点に、ブッダ・ダルマを探求する旅人が、あらゆる境界線を超えて行き交うヴィレッジを想起したい。カンファ・ツリー・ヴィレッジでの交流から、無分別智がはたらき出し、まだ他のどこでも声にならなかった声が聴かれ、それがポリフォニーのように響き合い、これから100年私たち人類の生きる方向性を照らすものと信じて。

では、ブッダ・ダルマへの扉は、どこにあるのか。
どうしたら、無分別智ははたらき始めるのか。

ゴータマ・ブッダ以来の仏教史は、古今東西、多様な種類に展開した扉の型録でもある(そして実のところ、仏教に限らず、扉はいつでもどこでも誰の上にも開きうる)。中でも、日本へ到達し熟成された大乗仏教の伝統においては、亡き祖先を「ほとけさま」と呼び習わす先祖供養仏教が花開いた。家族での法事、お盆やお彼岸での墓参りなど、大切な亡き人を思い出す習慣が今でも広く共有されており、それと意識せずとも死者と共に生きている感覚を養ってきた。

そうした、死者の存在が「私が私を超えていく」扉としてはたらく日本の風土に照らし、カンファ・ツリー・ヴィレッジの中心には、誰にも開かれたブッダ・ダルマからの呼び声として、次の問いを置きたい。

“How can we become better ancestors?”
〜いかにして私たちはよりよき祖先になれるか〜

100年後、これから生まれてくる未来世代にとって、私たちはいかにしてよりよき祖先になれるだろうか。問いを胸に、私たちは、歩き、触れ合い、語らう。舞台は、各々が主義主張(ism)を競い合う、閉ざされた四角い会議室ではない。千年単位で受け継がれてきた自然と叡智に囲まれた、螺旋を描くような曲線の場だ。目には見えなくとも聞こえてくる、過去と未来を凌駕する無数の名もなき存在の声に耳を傾ければ、自ずと私はこの皮膚を境界とした存在から溶け出していくだろう。

カンファ・ツリー・ヴィレッジは、分別知を離れ「もう一つの見方」を探究するすべての旅人に開かれており、望みさえすればいつでも、どこからでもアクセスできる。いつか探求の旅が終わる時、私たちは故郷へ還り、今度は村人となって、訪れる旅人を歓待するのだろうか。いや、いずれにしても留まることなくはたらき続けてこそ、よき祖先なのかもしれない。祖先をめぐる旅に、終わりはない。

このLetterを目にしたすべての人を、カンファ・ツリー・ヴィレッジへと招待します。

2023年1月
学校法人武蔵野大学
100周年記念事業
カンファ・ヴィレッジ・プロジェクト